『水いらずの星』座談会 水沼健×金替康博×内田淳子

 


はじまりは羊団……

-『水いらずの星』は、もともと「羊団」という団体での上演でしたが、団体結成の経緯を教えていただけますか?

金替 僕と内田さんはもともと同じ劇団(時空劇場)*で、劇団では僕と内田さんはペアを組むことが多かったんです。それとは別に内田さんは、松田(正隆)さんの二人芝居を何回か上演していて。時空劇場が解散っていうときに、そういえば僕と内田さんは二人芝居をやったことがなかったね、という話になったんです。じゃあ劇団も解散するし一回やってみようと。もともとは、内田さんと土田(英生)さんがやっていた作品*を再演しようとしていたんだけど、松田さんが「じゃあ俺、書くよ」って。で、演出を誰かにお願いしなきゃって話になって。僕は時空劇場の時代からMONOに客演で出演していたから水沼さんを知っていて、水沼さんは自分が役者として出演しているシーンも客観的にそのシーンを観ることができる人だと思っていたので、水沼さんだったらきっと演出ができるだろうなって思って。それでお願いしたら受けてくれました。……やりたかったんでしょうね、きっと(笑)。

水沼 いや、でも僕は「『季節が流れる、城寨(おしろ)が見える』*をやるから」って誘われたから順番は違う気がする。まあそんなことはいいのか(笑)。羊団っていう名前は、三人で案を出し合って。

内田 全員未年だからっていうことで決まったんだったね。

-16年ぶりの再演ですが、今この作品を上演しようと思ったきっかけは?

水沼 最近は自分で戯曲を書いて、その作品を演出するという作業をやっていて、もちろんその作業は楽しいんですけど、少し行き止まりのようなものを感じることがあって。だから一度、原点というのか、自分が演出をはじめた頃の作品をやってみたくなったんだど思います。この作品は僕が作りたい演劇の方向性が見えたというか、作り方のようなものをつかんだ気がした、なんというか僕のふるさとのような作品なんです。

-稽古初日の読み合わせで「初演のときはこうだった」と何回もおっしゃっていたのが印象的だったんですが、一度やった舞台のことは、鮮明に覚えているものですか?

水沼 おそらく、演出家と俳優では思い出し方が違うと思う。セリフが口をついて出てくるとか、動きや反応と連動して覚えていたりとか、そういう身体的な記憶が俳優の場合はあるのかなって気がするんですけど、演出の場合はそういうことがないので、思ったより思い出せない。苦労して作った記憶があるし、自分にとってすごく印象深い作品のはずなんだけど、意外と覚えてないなって。そういう自分の記憶の頼りなさと戦っています(笑)。

金替 僕は、「このセリフのときの動きはこうだった」っていう遠い先の……マイルストーンみたいに光ってるものが見えるだけで、それまでの道筋はわからないんですよ。「なんでそこでそうなってたんだろう俺? わからないなあ」って。そういう思い出し方はします。

内田 私もそうかも。部分部分で記憶にある箇所がある。

金替 部分って言ってもかなり…部分。1ページに一回とかじゃない、5ページに一か所あるかないかくらいで、光ってる場所がある。

水沼 その光が闇を照らすんだなあ(笑)。

金替 それまでの道筋を(笑)。

内田 断片的だから、より難しいってこともあるよね。ところどころ記憶にあるから、そこまでの道を探りたくなる。

水沼 今の感覚を大事にやろうとしているから、再現しようとしている訳ではないんだけど、「こうしてほしい」と指示を出したら、内田さんに「そういや、そんなことしてたねえ」って言われて、「あ、そうだっけ」って(笑)。だから、やりたいものの形は、初演の頃からある程度形にはなっていたのかなとは思います。

-初演時、この戯曲を読まれた時の感想は? また、16年ぶりに読み返して印象の違いはありますか?

水沼 羊団で松田さんに書いてもらった作品の中で他の二作『Jericho』と『石なんか投げないで』は、なんというのか、「なぜ、このあとにこうなるか」……繋がりが全然わからなくて、すごく格闘した記憶があって。この作品はそういうところではあんまり苦労しなかった……理解しやすい作品だったという記憶があるんですが、あらためて読んでみると、この作品もずいぶん壊れてる……意欲的な作品だなって思いました。

金替 僕はね、改めていま読んでみたら、カッコつきの「物語」になったなあって思いました。当時はもうちょっと、現実的というのか、自分が台本の中に入っていける気がしてたんだけど、今はある程度俯瞰してみている感じ。

内田 初演の時は、ちょっとずつFAXで送ってもらって、もらったところから稽古をしていて。こういう作品だったのかってわかったときにはもう舞台に立ってた感じだった。無我夢中だったってことしか覚えてないですね(笑)。……その当時、私は、松田さんの作品に出演するときは、わがままを言って松田さんが書かれた手書きの台本で稽古させていただいていたんです。『水いらずの星』の初演の時もそうでした。……松田さんが書いた文字からじゃないとイメージできないような気がしていたんですが、そういうところから手がかりを見つけようとするということからは離れられたかな。そういう意味では、私も別の視点になるかもですけど、俯瞰というか、脚本の中に入りこまずに拡げてみることができるようになったのかもしれないです。

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二人芝居について……

-水沼さんが本作のチラシの文章に「自分が演出の作業の中で感じたいと思っていることはだいたい、この二人芝居をつくっている際に現れるものだった」と書いていらっしゃいましたが、それは具体的にどういうものですか?

水沼 具体的に書けないから、ああいう風に書いたんですけど(笑)。二人芝居って、ずっと二人しか出てこないから「見てる方は飽きるんじゃないか」って不安があるんですよね。だから、それを回避するために、なんかしないといけないなってずっと考えていて。はじめて『Jericho』をやったときに、会話を成立させるというベクトルに、身体的なベクトルを持ち込むことによって芝居の厚みをつくっていくという作業を、不完全ながらも見つけることができて、それがすごく楽しかった。次に『水いらずの星』を上演することになって、この作品には物語がしっかりとあったので、この作品で自分が『Jericho』のときに獲得したのではないかと思ったものを進化させることができた。端的に言ってみると、「音声だけで聞いている場合」と「音声を消してヴィジュアルだけで観ている場合」とが違う物語が見えればいいなと思ってるんです。それが、声と身体という二重性として現れたらいいなあと。例えば別のメディアだったら、映像と演技の二重性を作ることができるんだけど、そういうやり方じゃなくて、シンプルに俳優の身体だけを使って、そういう奥行きを獲得したい。それを自分の演出の持ち味として行けたらいいなあと思っていて、それが「できる」って確信したのがこの作品でした。

-集団で行う舞台と二人芝居って演じる上での違いはありますか?

金替 二人しかいないからやり取りがシンプルで、だからそれだけ生まれるものがあったりする。「こう投げたら、どう返ってくる?」っていうことが試しやすいし、その結果も見えやすい。なんせずっと同じ人とのやりとりだから。

内田 私はそんなに変わらないかなあ。不器用だからかな(笑)。

水沼 さっき僕が「二人芝居は飽きる」って言ったけど、それはさっき金替さんが言ったようなことで、結局、この人が喋ったら、次はこの人……わかるだろ、と。まあ、量とか間とかはあるにしても、手続き的には、こっちが喋ったら次はこっちしかない。そういうやりとりを積み重ねることがすごく怖いので、それだけじゃないものを作りたいって思うようになったんです。補足すると。

 


 

演出について……

-水沼さんの演出の特徴はどんなところでしょう?

金替 僕がずっと水沼さんに対して一貫して思ってるのは、一歩一歩きっちりと積み上げていく演出家さんだなっていうことを思います。伝わるかどうかわかんないけど、土台をここから持って来て、とかじゃなくて、その土台も一個ずつ作って……作業的にはゆっくりなんだけど、前に進んでるなって感じがする。そのゆっくりさが……あれ、前とおんなじことやってるなって思うこともあるんだけど……着実に進んでいってるっていう。そういう特徴を持ってる人だなって。壊すことも戻ることも時にはあるんだけど、でも結果的にはちょっと進んでるっていう……。

内田 今なにを言おうとした?(笑)

金替 なんとかのマーチ的な?

内田 よく指示が細かいとか言われるよね。壁ノ花団でご一緒した役者さんにはダメ出しのためのノートを別で作ってる人もいたし(笑)。私は水沼さんの演出って考えると、やっぱりユーモアが好きですね。自分が登場していない他の人のシーンを見てても、「あ、ユーモア」って。さすがだなあって思います。

 


 

松田正隆さんの作品について

-松田さんの作品の魅力ってどんなところだと思われますか?

金替 時空劇場時代は、これに書いてあるとおり(と、資料を見て)、「日常のさりげない会話から普遍的なテーマを浮き上がらせる」ものだったんですが……

内田 書いてあることそのままやん(笑)。

金替 (笑)っていうのが上手いなあと思っていました。技術的っていうのかなあ、戯曲自体が有機的に繋がり合って、ひとつのものになるっていう、複線がすごくうまいところに張ってあったり、すごいなあと思ってましたね。……そういうのイヤになったんだろうね。あるときにね。それはそれで、おもしろい人だなあって思いますね。

内田 ト書きがすばらしい。美しい文章なんですけど……上演不可能なくらいのことをト書きに書くので、(平田)オリザさんも「卑怯だ」っておっしゃってましたよね(笑)。風景とか出来事とか、ト書きからイメージして読むから読み物としてはすばらしいんだけど、それをいかに実際の上演に浮かび上がらせるかっていう事になったときに、かなり試行錯誤する部分がいっぱいあって、それがそれとして松田さんの作品に言える特徴かなあって思います。ト書きなかったらそうでもないシーンとかあるんじゃない?って、それくらい卑怯(笑)。スタッフさんにもやりがいのある戯曲です、きっと。

水沼 僕は松田さんが「日常的な……」を書いていた頃は観客として観ていたのでト書きに関してはわからないんですけど、実際にやってみると、日常的な会話の中に詩的な言葉がないまぜになってる。言葉が美しいなって思います。なんかカッコいいですね。日常的な会話の中で、ちょっとレベルの違う言葉が入り込んでくるところがカッコいい。わからないけど、書いている作業の中で楽をしない、すごく丁寧に書く人だなあと、いつも戯曲をもらってたときは思ってました。もっと楽に書くこともできるだろうに……って(笑)。それはすばらしいところですね。

 


 

メッセージ

金替 初演のときは、時代にフィットしている作品だったと思うんですね。16年経って、今はちょっとずれてるんじゃないかなと思うんです。そのズレを僕と同世代の人はこれをどう感じるのか、若い方はどう感じるのかを知りたいです。意見も聞いてみたい。だから東京公演では茶話会もやります。たくさんの方に来てほしいですね。

内田 今回は壁ノ花団としては久しぶりの東京公演もあります。こまばアゴラ劇場での公演は2009年以来なので、その頃にアゴラに来てくださった方にも観ていただきたいですね。AI・HALLは2年ぶりかな。関西では時空劇場やMONO、その他にもこの作品に関わっているスタッフさんが昔からずっと拠点としてきた場所だし、松田さんの作品で羊団の頃からお世話になっている皆さんやその頃にお芝居を観てくださった皆さんにも観てほしいなと思います。今回は水沼さんの戯曲ではないから、いつもの壁ノ花団とはちょっと違う。きっと違った楽しみ方ができるんじゃないかな。

水沼 同世代の人……いや若い人……、いや、いろんな方に観ていただきたいです(笑)。

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2016.7.27
京都芸術センターにて

 


 

*時空劇場……1990年4月、松田正隆・内田淳子らを中心に旗揚げ。結成時より一貫して松田正隆作・演出の作品を上演する。代表作に『紙屋悦子の青春』(1992)、『坂の上の家』(1993)、『海と日傘』(1994)など。1997年3月に解散。

*内田淳子と土田英生の二人芝居……『蝶のやうな私の郷愁』『季節が流れる、城寨が見える』などがある。